sametimeme's diary

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他人のセックスを笑うな。いや真面目に。

男と女は付き合うものだというのを知ったのはいつ頃だったろうか、僕はそういうのに疎い方だったので中学生に入った頃かもしれない。それまでは好きな子が出来てその相手も同じように好きで居てくれるなら、めでたしめでたしでゴールインなんだと思っていた。その先に付き合うという契約、キスやセックスという行為が待っているなんて、想像すら出来なかった。

女子はもう少し早いかもしれないが、男子の間で彼女ができただできないだという話をするようになるのは、中学校2年生くらいからではないだろうか。◎◎クラスのあの子が可愛いだ、▲▲中学に超美少女がいるだ、X君とYさんはもうキスしたらしいとか、そういう話をしながら友人と盛り上がったのを、なんとなく15歳くらいからだったと記憶している。

僕自身どうだったか。健康優良児としていたって平穏な普通の中学・高校の日常を謳歌した。僕の周りも、そういう奴が多かった。これくらいの生徒なんて交友関係も限られているので彼女なんて友達付き合いの延長にあるというのがほとんどだったし、プリクラなんかも流行ってて自然と誰と誰が付き合ってるんだとかは色々と耳に入ってくるのだった。

大学になると溢れてくる。学業と同じくらい異性交友の重要度が増してきて、中にはそっちが学業より遥かに優先されるという奴も少なからず出てくる。社会人になると、まだ年次の浅い頃は大学生の付き合いの延長のような恋愛をする(僕の尊敬する人事のスペシャリストは、30までの恋愛を、「恋愛ごっこ」と豪語していた)ものの、20代も後半にさしかかると、否が応でも結婚というイメージが頭に浮かび、なんとなくその先の同居生活や出産などについて考えだしたりするものだ。

結婚/出産を経て性的にも社会的にも成熟した二人は、教育という人生の最重要課題に直面するようになる。また、働き盛りといわれる世代もこのあたりにヒットするので、外では仕事、家の中では教育、と明確にやるべきことが限定されてくる。このまま数十年、齢を取った末には定年退職、第二の人生…とまあ、平成の時代の我々はきっとこういう人生をおくることができたらラッキーなのだろう。

が、僕は思う。彼らはなんの落ち度もなく立派な家族・人間関係を築き、また多くはそれらを維持、向上する。人生にとってこれ以上の仕事はないと言って良い。が、彼らが性的に成熟しているかというのは、少し違う。

彼らはノーマルに成熟している。が、アブノーマルなセックスにはあまり知識も経験もないであろう。アブノーマルなセックスとは何も三角木馬の上にまたがったハゲオヤジが目隠しされて…などというようなアレではなく、セクシャルマイノリティの事を指す。

Sexual セクシャル:性的

Minority マイノリティー:少数派

日本で普通に学生生活を送り普通に就職し普通に家庭をいとなむ超立派な人々は、おそらくセクシャルマイノリティーの世界を垣間見ることすら無いであろう。無論セクシャルマイノリティーの本人達以外、だが。あなたのリアルな交友関係の中に、自分はゲイだとカミングアウトしている人はいるだろうか?堂々と外で手をつなぐレズビアンカップルの友達はいるだろうか?おそらく、ほとんどの人がNOと答えるだろう。

こういったセクシャルマイノリティー達は、日本社会においてはその本性を隠し、あたかもノーマル(普通に男女の付き合いをする人々、とする)のごとく振る舞わなければならない。セクシャルマイノリティー達もそれを望んでいる節があり、周囲にはやし立てられても尚自分たちのカミングアウトを曲げないという気概をもった人はまれであるし、また、それがセクシャルマイノリティーのコミュニティにとって利益にならない事を知っている。だから、隠すわけだし、これもある意味ノーマル達とセクシャルマイノリティーの共存の一例である。割合、うまくいってる一例だと思う。

が、この方式の問題点は、ノーマルがアブノーマルの世界を理解するのが非常に難しいことにある。というか、アブノーマルの存在自体を認識できるかという処からして怪しい。両者はオープンに触れ合うことなく、触れ合ったとしても相手がセクシャルマイノリティーの人間だと気付く事はほとんどないであろう。何年齢をとっても、何人の異性といろいろな形の恋愛をしても、ここは経験値が著しく低い。

翻って。

僕のように「日本はしばらくいいや、海外でおもしろい仕事してみよう」というようないけない好奇心をもって、かつそれを実際にやっちゃうような奴らは、遅かれ早かれこのセクシャルマイノリティーの洗礼を浴びることになる。日本ほどセクシャルマイノリティーにクローズな国はそうない・・・とまでは言わないが、普通いきなりそのような国々で生活するようなケースはあまりないであろう。あらかた多くの日本人が働くような外国は割合彼らに対してオープンであるし、ノーマルとの接触の機会も多い。

<接触の一例>

  • 冗談でゲイの友達にボディタッチをされる事が何回もある。
  • 仕事の一時的なパートナーで、仕事ができてすごいなあと思ってた高身長イケメンがゲイだと他人から聞かされたこともある。
  • とある男勝りな性格を持つ女友達には彼「女」がいるし(しかも2人、激美人)、
  • 走り方がいかにもなオカマで笑ってしまうけど、男気があってとても信頼できるやつを知っている。
  • おまけに今日なんてフットサルの会合に誘われてた(未参加)が、誘ってきた人を含め参加者のうち5人はゲイで有ることを知っている。もちろん、その後夕食会が開催されるという事も。

セクシャルマイノリティーの友人らとはたまに飯をくったりするし、馬鹿な話題で馬鹿笑いしたりするし、かと思えばビジネス理論について本気で話し合いしたりもするし、参加者のが本気でキレて大声で怒鳴り出すくらいのアツい議論をする事もある。天気の話から政治ニュースの話まで、何から何までいわゆる普通の友人付き合い、をする。

が、ゲイである以上性的に誤解を与えたり期待を与えたりするような行動は慎むし、そうしないと予期しないトラブルがある事もよく知っている。もちろん、彼らもゲイだからといって男ならだれでもいいと思われるのはウンザリで、好きな男以外は普通の男友達と変わらないというのも知っているし、時折冗談でセクシャルなネタを挟んでお互い笑い合う事もある。このネタのはさみ方もコツがあり、上手くやらないと周囲を凍らせてしまうのだ。

安っぽく聞こえてしまうが、人間関係、という言葉がある。

本当に人間と人間との関係を発展させて意味のあるものにしていくのであれば、相手の人間の特性と、その特性はどの集団でどういう位置づけなのかを可能な限り客観的に判断し、判断に基づいた言動をする必要がある。友達が多かったり、すぐ恋人ができるような奴らはこういう事をごく自然に、効果的にかつ高いレベルで、時に無意識で実践する。これは対セクシャルマイノリティーにも当然当てはまる事であり、彼らを理解し、彼らの状況、彼らの主張や願望、タブーを予め理解した上で初めて、面と向かって人間関係を発展させるようなコミュニケーションが出来るようになるのである。

 

性は人間の存在理由の一つと言える。そして、人間は様々なのである。

多様性だとかダイバーシティという言葉を理解しようが否定しようがそれは事実だし、その様々な人間達の中でないと自分が生きていけないのが、社会という仕組みなのだ。セクシャルマイノリティーの事を、ホモだ!とかレズだ!とかって茶化したり引いたりして捉えるようでは、人間として、未熟であり子供なのだ。

 

僕は、きっと日本でぼんやりサラリーマンをやってるだけでは、こういう事に気づかなかったであろう。例として今日フットサルに誘われた事を思い出しセクシャルマイノリティーを取り上げたが、こういう事は他にも山とある。折を見てエントリーとしてここに書いていこうと思う。