sametimeme's diary

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女子校は、『自分の価値の測り方』をちゃんと教えろ

<問題提起>

最近、まともな女子がダメ男とくっついたり、20代そこそこの女子が50手前のオッサンと付き合っていたりという話がちらほら聞こえるのが気になった。男からすれば夢のある話である。金がなく仕事をしていなくても女が金を稼いできてくれる。結婚に何度失敗しても、歳をとっても、若い彼女に尽くしてもらえる。男冥利に尽きるというものである。

女子当人は、至って幸せそうである。暴力を振るわれようが友人に彼氏がバツ持ちだという事を噂されようが、幸せなのである。目の前に男がおり、その男が自分を好きで居てくれる。それだけで、救われる女子というのが一定数いるのだ。

だが、待ってほしい。ヒモやバツ二50過ぎのオッサンが彼氏って、果たしてどうなんだ?当の本人たちがたとえ幸せであったとしても、世間一般的に、常識に照らし合わせて、直感的に、客観的に、どう考えても『不釣合い』な関係であることは、間違いない。

<あるべき姿>

じゃあどうあるべきか?

これは難しいが、相応の価値と可能性がある女子は相応の価値と可能性がある男が釣り合っているし、お互いの利益も幸せも最大化できるというものである。「恋愛なんて当人同士の問題だからほっとけ」という声ももちろんあろう。だが、妙齢女子の恋愛の先には、必ず結婚というゴールがセットされている。結婚となると、もはや当人同士の話なんかではない。家族と世間を巻き込むものである。

目の前の恋愛に目が眩むとなかなかそれが見えなくなるのだが、やはり、常識的にどこに出しても恥ずかしくない真っ当至極な異性付き合いというのが、大事なのである。

<現状>

ところが、自分の価値と未来を理解していない女子というのはとても多い。これはとても大きな問題である。この原因の一つに、女子高出身というキーワードがある。

僕は以前から女子校出身者は自分の価値を測ることがとても苦手だという認識を持っていたが、これはどうやら間違いない。彼女たちは、高校という思春期真っ只中、かつ理性も自我も確立されてくるとても大切な時期に、地球の半分を占める男という生物からまったく切り離されて一日の大半を過ごすのだ。男との付き合い方、人間関係の築き方はおろか、男の価値観や習性について、ほぼ妄想で補完しつつ過ごすのだ。

繰り返すが、これはとても大きな問題である。

自分がどの程度の価値があるのか、女子校出身者は知り得ないのだ。

中高大と女子校でしたーみたいなパターンだと、もう目も当てられない。平気で60歳くらいの男に恋しましたなどと言ってしまう。彼の愛があれば大丈夫などと『花とゆめ』の登場人物のような事を言いつつ、定職もないDV男を部屋に住まわせてしまう。付き合いも極端に女子に偏っているため、なかなか世間一般常識的な意見に触れる機会もない。自分の決めた選択肢が間違っていたのが怖いので、考えなおそうともできない。

こうした間違いがはびこることは、多くの不幸を生むだけではない。離婚率の上昇や出生率の低下につながり、結果として社会保障費の増大、治安の悪化、そしてなにより少子化を促進させていき、巡り巡って我々にもとばっちりが来るのである。

<対応策>

じゃあどうすれば良いのか。まずは、女子校で自分の価値の測り方というのを授業でちゃんと教えればいいのだ。成績だって、勉強や運動の成果だけでつけるんじゃなく、総合的に女性としての魅力とう意味での成績があっても良い。

教師が客観評価をせずに、一体誰が女子校の子どもたちに世間一般的な価値尺度を教えてくれるのであろうか。世の中の半分を占める男という存在が、いかに自分たちを評価するのか、一体どうやって知れというのか。

世の中の半分を占める、30億人の男という存在から自分が評価されるのは、例えば…美貌、スタイル、勉強、笑顔、服のセンス、声、料理のスキル、家事、年齢、職業、家庭環境、資産、笑いのセンス…、要素はなんでもいいのだが、要するに大事なのは、相対的な自分の価値というのをなんとなくつかむのが、大事なのである。

「ああ、自分はだいたい女が100人いたら上から5番めくらいに居るんだな」

とか、

「ほとんどの女集団の中だと、あたしの魅力ってほぼ最低ランクだから、比較されちゃいけないんだな」

とか、

「あたしはいますごく平均的な価値しかないみたいだけど、努力次第で自分の価値が伸ばせるみたいだから、せめてできることはがんばろう」

とか、

そういう、自分の価値というのをぼんやりと把握しておく事で、あまりにもその価値とかけ離れた男に変に捕まってしまう、という事態を回避できるのである。

もちろん、同様に男を相対評価することも非常に大事である。しかし、女が男に言い寄るより男が女に言い寄るほうが圧倒的に多いため、女は必然的に受け身となるケースが多くなる。受け身であれば、時間をかけてゆっくり男を品定めすればよいだけなのである。

翻って、自分の女としての価値というのは、時間をかけてゆっくり品定めするようなものではない。スパっと評価されないと、なかなか分からないものなのだ。だから、教育課程で組み込むべきなのだ。

自分に釣り合っている男はどの程度の男なのかというのを把握しておく事で、大きなリスクを避け、小さなチャンスを取りに行くことができる。

<結論>

女子校は、『自分の価値の測り方』をちゃんと生徒に教えろ。そのクライテリアは、各校がカラーを出せば良い。だが、世間一般的にその女子生徒がどの程度の価値があるとされるかという客観的な分析は、世間知らず、コミュニケーション知らずの閉ざされた世界で生きる女子校生たちにとって、必ず将来役に立つ指標であると言ってよいように思われる。

 

 

…つーか、聞いた瞬間「なんでやねん!!!!!」てなるとてつもなく不釣合いなカップルの話を聞いた時の、あの、言いようのないもどかしさというか怒りを、なんとかしてもらえるならなんだっていいや。