sametimeme's diary

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厳しさの無い男の貌(かお)(^_^;)

男子三日会わざれば刮目して見よ。

男は3日で見違えるほど変わる事を表すことわざである。実際に体験した人も多いだろうが、時には後輩が、同級生が、先輩が、しばらく見ないうちに見違えるほどたくましく、強く、賢くなっていると感じる事がある。あなたにも、きっとそういう事があるだろう。

では、どういう要因で男子は成長するのだろうか?

思うに、それは 厳しさ、である。

厳しい、辛いという経験は、男の顔つきを変える。苦しみを知っているが故の優しさ、そしてそれを乗り切ったという自信が腹の底から、顔のたたずまいのどこかににじみい出てくるものなのだ。日頃よく接していた人ほど、そのにじみ出たものに敏感に気がつく。そして、表情しか伺えないにせよ、精神的に成長した事を感じ取るのである。

これは、本能に近い。

かつて人間がまだ猿の集団だった時に、猿は、誰が優れたオスであるか、誰が自分を守り、自分たちを最も強力にさせてくれるかというのを命をかけて感じ取る必要があったのだ。当然、何か困難を乗り越えた猿は乗り越えていない猿より、次の困難を乗り越える可能性が高い。他の猿は、そうした猿の機微を生命を賭して読み取り、その直感に従い生き残ったものの延長上に我々が生きているのである。

また、厳しさという意味ではとても重要なのだが、他人への厳しさがある。

他人への厳しさは統制の象徴である。会社社会でも、部下を叱れないマネージャーなど百害あって一利なしである。後輩が嫌がっているのをわかりながらも仕事をやらせ、かつそれを成功させるというのはある程度経験を積んだ社会人の大きなチャレンジの一つである。さらに一歩進んだ者は、自分が他人を雇い、管理し、それを解雇するという体験をする事がある。こんなとき、人から嫌われるのを恐れたり、自分の良心の呵責に耐えかねたりするのは二流、三流のマネージャーと言える。

組織の目標をしっかりと見据え、人材も厳しさを持ってコントロールするのが、やはり男の器を成長させてくれるのである。

また、たとえは悪いが、人を殺すと人間は変わると言う。殺すというのは、他人に対する究極の厳しさである。他人が自分によって生命を絶たれたという感覚は体験しなければ分からないが、成長とは言えないにせよ、心持ちを大きく変えるだろうと想像できる。

こんな経験は無いだろうか。それまでなんとなしに付き合ってきた友人でも、会社で上級管理職になったり、起業して成功したりした後に会ったら何か恐ろしさというか、表面上は変わらなくても精神的に一回りも二回りも太くなったような印象を感じる事がある。これはやはり、我々の猿としての本能が、他人を統制する事を身につけたオスを敏感に感じ取ろうとせざるを得ないのだと解釈できる。

反面、どこかたよりなさ気な、歳の割に幼いような顔つきの男も居る。

困難から逃げまわり、他人を傷つける事を恐れ、責任を回避し、自己弁護に必死で、無根拠な尊大さを併せ持つようなタイプの男である。僕はかつてこういう男と仕事をしていたことがあったが、『こういう男になりたくない、一緒に居れば伝染ってしまいそうだ』と思い、その仕事から必死で逃れた経験を持つ。そして今でも、あの時もがいて本当に正解だったと心から思う。

自分に厳しくした経験もなく、他人に厳しくする度胸も無かった。言葉を飾れば『優しい』『平和主義者』というように言えなくもないのであろうか、しかし男は万事優しく、万事思いやっていては成長できないとうのは、早いうちに気づいていたほうが良い事実であると僕は考える。

腕っぷしの強い弱い、頭のいい悪い、顔の良し悪し、その他もろもろ外観や物質的特性なんて、大人の男にとってはあまり関係なくなるのである。風貌というのは、もっと内面からにじみ出てくるものなのであって、そこには確たる厳しさを秘めておくべきものなのだと僕は考える。それは、

ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ

そう、ちょうど、気魄と表現されるものであろう。