sametimeme's diary

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学校で教えないけど社会で必要なスキル

僕は常々、学校での教育というのは不完全で不十分だと信じる者である。
そしてその理由は、教育会の独特なキャリア形成過程と内輪の人材派遣形態にあると考えているのだが、その話はまたの機会に譲るとして、なぜ学校で教えないのか理解出来ない事がたくさんある。その中でも一番納得いかない、『お金』『メタスキル』の、教育を受ける機会の欠如についてなど。

 最たるものは、お金
お金はこの世で大切なものの一つである。

なのに、学校ではあたかもお金はあまり良いものではなく、綺麗なものではないという教え方をするのである。僕はそのような考え方を否定する気は無いが、少なくともお金によって不幸になってしまう人間はたくさんいるし、お金の使い方次第で他人を助けたり社会に貢献したりする事もできるので、やはりもっと重点的に教育に組み込むべきだと考えている。
僕の記憶では、お金に関しては本当にごくわずかに授業を受けた記憶がある。まずひとつに、詐欺に対する心構えである。どういう詐欺の種類があってどういう事を知っておくべきかというのを、なぜだか家庭家の時間に習った記憶がある。
あとは、消費者金融の恐ろしさ、それから連帯保証人にはなってはいけないというくらいしか、学校で教わった記憶がないのだ。これでも僕は学校の成績は良い方であったので、教えられたが忘れているという可能性は考えにくい。本当に、それくらいしか教わっていないのである。
金に関する概念や扱い方というのは宗教にも似ていて主に家庭で教育されるべきものであった。が、性教育が男女の学校教育に取り込まれているように、お金に関してもある程度時間を割いて以下の様な事を子どもたちに教えるべきだ。

  • お金の成り立ち
  • 物価の決まり方
  • 人件費の決まり方
  • 為替の概念
  • 税法と税務の概念
  • お金に関するルール違反

お金が良いものなのか悪いものなのか、そういう問いには子どもたち自身に考えさせれば良い事である。自分の頭で考えるとっかかりも無いままに、中途半端な他人の思想に染まるのが最も危険である。

メタスキル
学校教育は長い歴史をかけて体系だった知識を吸収させるために練り上げられており、それはそれで素晴らしい事である。また、道徳教育や音楽教育など情操教育を通じて対人関係や倫理観を備えさせる事に関しても、大きな役割を果たしていると言ってよい。
だが、決定的に足りないのは、体系だった知識や対人関係などのスキル単品ではなく、それらの使い方について、すなわち、メタスキルの教育、である。


ヨーロッパ旅行の例
メタスキルとはどういうスキルなのかという例を挙げよう。あなたは、ヨーロッパに旅行にいく、としよう。

まず重要なのは、お金の計算である。お金の計算なんて小学生じゃん、と思うなかれ、為替を計算したり、ほしい物や必要経費を計算したりしていくのは、意外に複雑なのである。二項の連立方程式程度ならいくらでも立てられよう。

次に、旅程である。どこをどういくと何時間くらいかかるかというのを、地図から読み取っていく。レンタカー旅行であれば道路や高速道路、ホテルやスタンドの表示を読み取る必要があるし、高低差や燃費、スピードと所要時間も計算して計画を組み立てる必要が出てくる。

さらには、食べ物だ。ヨーロッパの各地域の気候区分や地形から、何がどういうふうに美味しいのかとかを考えながら、食事する場所を決める。しっかりと地理が頭に入っていないとリアルに想像できないので、楽しみも半減である。

観光するにあたっては土地のことをしる必要があるので、歴史は必須である。ヨーロッパにおいて神聖ローマ帝国がどのような役割を果たしたか、ハプスブルク家のような支配者はどこに住んでいたのか、文化の拠点はどこだったのか、それはなぜなのか。こういうバックグラウンドが頭に入っているのといないのとでは、楽しさが大きく違ってくるというのは容易にイメージできるであろう。

京都にいってロマンを感じるのは、我々が無意識に血煙の中を駆ける志士達をイメージしてしまうからである。同様に、ヨーロッパにおいてもその歴史があって初めて美しい景色や建築も意味を成してくる。

言語や芸術は言うに及ばず、身についていれば付いているだけ便利で有意義なものである。

…と、こういうふうに、学校で勉強する事を活かせば、ヨーロッパ旅行という一つの行事だけでも、その密度をとても高める事ができる。このように、個々のスキルをうまく組み合わせて使うスキルが、メタスキルというやつである。


教師はメタスキルを教えられない
こういう知識の扱い方を教えられる教師は、本当に少ない。

なぜなら、彼らは自らの知識を有効に使うメタスキルを習得する前に、教師としてキャリアをスタートせざるを得ないからである。メタスキルを教育できる家庭というのも非常に少ないので、結局子どもたちは、もう人生のおおまかなストーリーが出来上がってしまった社会人数年目に初めてメタスキルを認識する始末なのである。
よくある問答で、
『サインコサインタンジェントなんて、人生のなんの役に立つのか?数学Cなんて、生きていてく上で本当に必要なのか?』
という疑問を抱く生徒がいるとして、それについて先生は、
『無駄になる知識なんてなにもない、きっと役立つからとにかく勉強しろ』
とかって返したりする。これも、メタスキルを認識している教師なら、きっと、
『解答へのアプローチや解法の証明は理論的に考える力を養い、発想力を豊かにする。例えば、お前が将来宇宙やロボット工学、プログラミング、バイオテクノロジーに興味をもった時、それらを学ぶ上で数学のように普遍的な学問を理解しているかしていないかによって、専門分野での応用力に大きな差が生まれるんだよ。いま僕が持ってるiPhoneのデザインの美しさが、数学的に裏打ちされているという事を知ってるかい?全く関係ないように見える分野でも、実は数学と深く関わりあっているものはたくさんある。お前が今数学を勉強しなきゃいけないのは、そういう未知の美しさを発見したり、世界に役立つ発明をしたり、専門分野で大きく飛躍したり、そういう可能性を無くさないために、数学がごくごく基礎的で、とても大事な概念だからだよ』
とか、もっと実体験に即したリアルで想像力をかき立てるような答えをサラサラと答えられるのだろう。


あるコンサルタントの例
ある高名なコンサルタントの本で、とても印象的だったエピソードが載っていた。

小学生だった彼は、夏休みに日本を縦断し西日本の親族の家に一人でいく計画をたてた。もちろん、電車を乗り継いでいくのである。父親に計画について説明し許可を得ようとしたところ、
『出発までの間に、いまから言うものを全部調べてお父さんに報告しなさい。経過する駅の名前、その駅の所在地の地理的特性、名物。どんな産業が発展していて、農作物はどう違っていて、人々の性質や暮らしはどう違うのか。また、線路から見える景色はどのように変化していくのか。』
それらを一ヶ月かかって図書館にこもって調べ、どの時間帯にどこを通り、どういう景色を見る事ができるか、どういう地域的特性に注目するのか、というのを事細かに絵やマンガ付きでノートにまとめ、それを父親に見せて旅行の許可を得た事ができた、というエピソードだ。
このエピソードは秀逸である。地学・歴史の自発的な学習を促し、電車の運行時間を意識させる事で計画性を意識させ、絵やマンガで表現の練習をさせ、それをまとめる事で視覚的に成果を分かり易いものにさせる。何より、いろいろな分野で調べたことや、表現した事が旅行という行為によって互いに結びつき、一つの体験として学習の効果を心と身体に刻みつけるのである。まさに、各スキルの活かし方、つまりメタスキルの教育である。

メタスキル習得は学習の相乗効果を産む
学校で勉強を習うのは児童・生徒の義務であるが、それをどう活かすかというのを考えるのは義務ではない。そして、子供には当然ながら人生経験など皆無であるので、なかなかメタスキルを概念として理解できないのである。
上記のコンサルタントの例のように、実体験を交えつつ生徒に知識を教えていき、メタスキルの向上と共に学校のお勉強や道徳のお勉強を相乗的に高めていき、楽しめるものにしていくというのが理想的な学校教育であると思うのだが、どうか。
子供の頃に、それをできる資質を持った先生に当たった人は、本当に幸せものである。