お詫びと雑感11 忘却
お盆というやつである。別に海外もお盆という風習があるわけではないのだが、更新できていなかったのは大変申し訳ないことであった。
更新できていない感、さまざまに思う事があった。それを、これこれこーいう風にブログに書きつけてやろうとかその場では思うのだが、メモをろくに取らずにしばし経てばきれいさっぱり忘れてしまうのである。
忘れてなんぼ
しかし、忘却というのは、悪くないものなのだ。何かを考え、それを忘れる。その経験は実は脳内にはずっと残っていて、ある時に些細なきっかけでふとそれがよみがえり、忘れる前の何倍も鮮烈に意識に焼き付けられる事がある。そして、そういう焼き付けられた意識によって、人は動いていくのである。
意識は、一度忘れ去られ、その後よみがえることで強く動機付けられる事がある。
受験勉強でも体験した人も多いと思うだろうが、一度は忘れてもいいと思って英熟語を覚えるとする。頑張って覚えるのである。でも、当然、忘れる。それを気にせず、次に長文読解を鍛えようと本を読みまくる。そうすると、1ページか2ページに、1つ、見たことがあるけどどうも思い出せない言葉が登場したりする。そこでまた記憶を手繰り、辞書をめくってその言葉の意味を理解したとき、ようやく腹に落ちるのである。
応用
広告手法でも利用される。
Aさんが聞いたことのないある製品の名前を、B君から聞いたとする。その時は、そんなのがあるんだ、ふーん、それでおしまいである。次の日にはもう忘れてしまっているだろう。しかし、ある日C先輩と話しているとき、何気にB君からきいたその製品の名前が出てきたとする。Aさんの頭のなかでは、B君とC先輩がその製品名によってつながり、自分が仲間外れになってしまうという危機感が生まれる。
それが2,3回と繰り返されると、Aさんはその製品を、さも昔から知っていたかのように錯覚する。そして、自分もそれを購入したいと強烈に動機づけられるのである。
人は偶然2、3回まったく違うきっかけで同じキーワードを聞くと、強烈に動機づけられるというのはマーケティングでは知られた話である。これもまた、忘却の作用であるといえる。
忘却も作用がある
忘れることで、生まれる。忘れることで、動かされる。
人はともすれば自分の頭で自分で考えて、自分の意思で行動しているように錯覚するものだが、頭の中にあるものだけが、人の意識ではないのである。その無意識エネルギーはどこに眠っているのだろうか?脳は宇宙の星にもにて、無限を感じさせる。
ーーー
というわけで、更新しなかったことを正当化するわけではないのだが、忘れることもよいことなんだよ、という韜晦であるのでありました。