sametimeme's diary

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旬知らず達の、食品偽装から騒ぎ

 東京のプリンスホテルあたりから世間を騒がせている、食材偽装問題。似たような事をしていた雪印は完膚なきまでに叩きのめされ、高級ホテルはどちらかというと同情的な記事が多いのにはやや首を傾げるが、まあしかし多くの人にとっては、まさかあのホテルが、という感じだったのだろう。雪印の苛烈さには遠く及ばないまでも、色々な方面からまるでリンチのような報道が続く。

 そしてバスに乗り遅れるなとばかりに、百貨店などもこの偽装問題のカミングアウトを始めた。どうせ告発されるような事をしていたのなら、今思い切って偽装の事実を公開するという戦略は正しい。木を隠すなら森というが、ちょうど世間も飽きてきた頃なので、またか、と思われる程度で済むだろう。

 別に車海老がブラックタイガーだったりレッドキャビアが別の魚の卵だったりするのは、どうでもよい。ステーキに牛脂注入された肉を使っていたのも、どうでもよい。偽装は悪質で今回明るみになったところには僕は絶対に行かないが、企業が利益を上げるためには売上を上げるかコストを下げるしか無い、売上が上がらないならコストを下げよう、というのは企業として至極まっとうな考え方であるし、食材の偽装というのはまだリスクの少ないコストの下げ方、になるのだろう。

 本物、偽物という概念を考えたとき、果たして今や日本人の何割が本物の食材を食べることができるのであろうか。

 東京で超高級な料理店や、料亭などで食事をしたことはあるだろうか?僕はビジネスでしか無いが、これらで食べる料理はそこらのレストランとは全く違うものである事に異論を唱える人はいないであろう。無論、料金も別次元で0がひとつ多くなる。が、決して関東近辺のレストランでは口にすることができないような美味しい食事をする事ができる。

 なぜ料亭が旨いか?

 旬のものを、最適な味付けで出すからである。

 さらに、器や食器、盛り付けなど芸術的要素を負荷し、感性に訴えてくるからである。

 この旬という概念が、日本人から消えて久しい。

 四季の概念の薄い外国では元より存在しないが、この概念は日本料理の伝統に連なる最も重要で基本的な概念だと僕は考えている。

 食品偽装で騒いでいる人たちは、本当に旬の秋刀魚を食った事があるのか?

 旬のいちごは?旬のトマトは?かぼちゃは?鯖は?

 旬だからといって首都圏のきれいなスーパーで安売りされているもの中に、実はずっと前に捕獲され冷凍されているものがあるという事を知る人は少ない。それはたまたま前年の旬にとれたものだったりするのかもしれないが、果たして冷凍され長期間保存された魚が、旬の魚といえるだろうか?そういう魚を食べて、旬の秋刀魚は旨いねえ、などと一度でも行ったことがあるのなら、今般の偽装問題程度で騒ぐのは茶番である。

 騒いでる人たちのほとんどはおそらく、原木からとれたてのしいたけを天ぷらにして食べたことなど無いであろう。旬のとれたてのしいたけは、それだけで旬の魚を押しのけ天ぷらの主役になるほどジューシーで美味しい。素焼きにして醤油で食べるのもよいし、やはり畑でとった唐辛子を輪切りにして和えて食べても最高である。もういくつねると、しいたけが採れる・・・というような期待に旨を膨らませた経験がある人はい、いったい今の日本人のどれくらいいるのだろう。

 いちごの旬は、クリスマスの前後である冬ではない。当たり前の事だが、春である。これを当たり前と言っても通じないから、僕は日本の旬は薄れてきていると感じる。大抵店に並ぶのはクリスマスシーズン前なので、多くの人がいちごの旬は冬だと勘違いしている。

 また、本来いちごとは小粒なのだが、近年では品種改良でとても大きなものが出回る。子供は喜んでかぶりつくが、ああいうのこそ偽装の一種ではないのか?と僕はいつも思う。本来のいちごが何であるか、どうであるかを日本人が忘れていってしまうのは、食文化のこれからに暗い影を落とす事になるだろうと考える。

 ところで。

 地方にいく醍醐味の一つは、旬のものを現地で食する事ができる事だ。例えば寒ブリを食いに富山にいくのには、電車往復で6時間ほどかかる。時給は2万円とすれば、自分のコストだけで12万円ほど払い、さらに交通費3万円、食事代1万円ほどの合計16万円程を払うという事になる。 

 こう考えると、料亭が決して高いというようには感じなくなる。各地の旬をプロ中のプロが調理して美しく盛りつけて一人6万円で済むのなら、行く価値はある。同様に、それでもやはり地方にも行く価値がある。その季節の旬の食材を食べるチャンスは、毎年人生で一度きりしか無いのである。十数万円を厭わないのは至極まっとうな判断だと考える。

 閑話休題。

 マスコミでは、旬がほとんど話題に上がる事はない。が、今回のように食材偽装は鬼の首を取ったように騒ぎ立てる。本当に食事を思うなら、本当においしい食事をする一般の人々の事を思うなら、普段からもっと旬の食材の生産と流通について、読者、視聴者を啓蒙するべきだと思う。

 旬など学校で教わるものではない。家庭で教わるものである。そして教えられる家庭というのは、この日本から消えていきつつある。旬のものを旬の場所で食べれば、偽装はもちろん、説明も不要なほどに、旨いのだ。高級ホテルや百貨店任せで旨いとされるものを大金払って買うのもよいが、もっと旬を意識して旅費や食材費にコストを使ったほうが、はるかに安全で美味いものを食える。

 旬のものを食べさせてもらえる『らしい』から、どこそこのホテルに行きましょう。じゃあ、せっかく日本に生まれてきたのに、悲しすぎるというものではないか。

 そういう伝え方は、日本のメディアにしか出来ないはずだ。今回の一連の報道では一度も旬という言葉を聞いていないが、今後も聞くことはないであろう。

 

 どこそこの返金の行列に何人並んだとか並んでないとかいう記事を目で追いながら、夏に食べるチヌの天ぷらの味を思い出した。塩だけで、うんまい、のです。