sametimeme's diary

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リア充というニセリア充

 リア充。

 この単語の発祥はWikipediaによると2005年ごろの大学生活板らしいが、記憶ではもう少し古くから似たような言葉で似たような概念が語られていたように思う。確か、したらば系BBSでもともとよく使われてたような表現が、2chの大学生活板に逆輸入されたという印象だったと記憶しているが、この記憶の通りであれば非常に珍しい、というか自然発生的でものすごくナチュラルな単語として産まれた訳である。

 数年前までは、確実に一部のオタク(非リア充と自称する人ら)にしか知られてなかった単語だった。もともとリア充があって非リア充があった訳ではなく、非リア充があってリア充というのが生まれてきたので、そもそも実態としてのリア充というのは存在せず、一種の概念的な存在であった。なので当然定義も曖昧だったし、用法も無限だったので好き勝手に論じることができた。無理矢理に例えたら、ある意味仏教でいう阿修羅のような存在だった。(わかりにくいか)

 それがどっかのタイミングで爆発的に広がり、今やFacebookのライトユーザーですら使うような、そしてマスコミにも頻繁に登場するような一般的な言葉になってしまった。発端は、「リア充爆発しろ」という言い回しが伸び盛りだったTwitterで高速拡散したのがキッカケだったように思う。この言葉を生んだ人たちは、このあたりから違和感を覚え始め、次第にリア充という言葉から離れていってしまったのではなかろうか。

忸怩たる思い

 僕は最近のリア充という言葉を見るにつけ、なんとなくイラっとする。なぜなら、全くリア充でもなんでもない奴らがリア充として扱われる風潮があるからである。もはや、一種の憐憫の情が含まれているように感じなくもないほど、リア充でもなんでもない人たちが、リア充だ何だと名指しされている。

 もはやリア充という語の原義が薄れてしまった今、本当にリアル生活が充実している人間のみ、真のリア充と呼ぼうではないか。

 …といったものの、難しいであろう。なぜなら。真のリア充は、絶対に、リア充なんて言葉を口にするような人たちの住む世界とはかけ離れた世界に生きていて、常人はその充実ぶりを見ることも叶わないから、である。いや、その充実ぶりを目にしたとしても、それが充実していると気づかない。まるで実感が湧かないのである。だから、真のリア充は決してリア充だと悟られることはなく、非リア充が真のリア充を理解する事も、ほとんど無いであろう。

 

一般のリア充と真のリア充の対比

 じゃあ、一般で言われるリア充と、僕がいうリア充はどう違うのか?というと…

一般リア充←→真のリア充>

異性の友人が多い←→同姓でも異性でも、突き抜けてどこかが優秀な人達と自然と繋がる

いろんな人と遊んだ事をSNS等で報告する←→お互いを強力に理解し、信頼しあえる強固な友人関係を静かに、密やかに大切にする

有名な店やカフェに行きまくる←→本物の素材を、本当の調理方法でいただく

美味しい料理の写真はすぐにUP!←→料理の美味しさや美しさが日常すぎて、写真を撮る気にもUPする気にもなれない

休日は仲間と河原でBBQ!←→休日くらいはヌルい人付き合いから離れ、料理の道数十年という厳しい講師から、素材やマナーまで叩き込まれるような講習に参加する

何やらデカい仕事をしてるみたいでカッコいい←→そもそも目立つ形で収入を上げたくないので、地味に手堅く不労収入、もしくはとても割の良い固定収入を確保している。それも、桁が違う規模で。

ヨーロッパ、アメリカに年2,3回は旅行←→海外からひっきりなしに訪れる友人知人のエスコートで、国内で本当に良い所に繰り返し出向く。海外には数年に一度、年単位で住居計画を立て、仕事や趣味で滞在する。

社内外、他業種に知り合いが多い←→世界中のあらゆる企業、起業家と多種多様なコネクションを持っている

いつもLINEの複数会話で中心的人物←→LINEや周辺サービスをプロデュースする人間達が憧れるようなグループの中心人物

ベンチャー起業で年収1000万←→ベンチャー起業後IPO、15億稼ぐ

いろんな人から頼られる←→頼ってくるような人があまり周りにいない

イケメン、美人、オシャレ←→見た目とか全く関係なくカッコイイ、クールな存在

株・FX投資で数百万かせいだぜ!←→自宅の軒先で信託銀行や外資プライベートファンドの担当者とお茶飲みながら世間話

 高級ブランド店でお買い物←→出入りの外商とブランドバッグの材質や製造過程について話を聞き、数年に一度程度の頻度で、あまり知られていないが超上質のバッグを買う

 とまあ、こんな感じだ。真にリア充と呼ばれるべき人達は、決してそう呼ばれる事はない。これは、リア充が非リア充の対義語としてうまれた過程に起因するもので、皆がリア充と読んでいるものは自分の中のあこがれやコンプレックスなどが他人の行動に現れたもので、実在するものではない。柳の下にリア充という幽霊を見ているのである。

リア充は、いつもじぶんのこころがきめる。

 人のスゴさが自分のものさしで考えて分かる程度なら、たいしてそれは凄く無いのである。なべて世は凄いと分からないものが、本当に凄いものだったりするのだ。

 世のニセリア充と、それを羨むという非リア充、もはやこの二者の関係は形式だけの茶番に過ぎず、意味を失っている。みなさんはこんな茶番に付き合わず、真に充実した人生を楽しんで下さい。