sametimeme's diary

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高コンテクスト・低コンテクストの異文化交流

異文化比較のモデルとして、『高コンテクスト』と『高コンテンツ』の文化の相違というのはよく語られるところである。

どういうことかというと、至極簡単に説明すればコンテクストとは文章に表せない暗黙知や共通認識や感覚、コンテンツとは明文化されたもの、と考えればよい。図的には以下のものがわかりやすい。(どこかのBlogから無断引用)

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図の中で欧米は左、日本は右に位置しているが、これが意味するものは、『欧米はContents(内容)を重視し、Context(共有認識や推察)に頼らない』、『日本ではContents(内容)を重視せず、Context(共有認識や推察)に頼る』ということである。

つまり、欧米は相手が誰であっても通じるような論理的整合性が重視されるのに対し、日本では論理的整合性よりはその場の状況に即した共通認識が重視される、ということだ。

<多文化VS単文化>

一般に、欧米のように多様なバックグラウンドを持つ人が集まるような場所では、相手がどのような前提を持っているかを推察するのは困難である。人によっては豚を食べないし、人によっては左手で握手することはタブーであるし、人によってはYesかNoを伝えることすら困難になる。

なので、誰にも間違いがない確実な理論、2+2=4、というような誰にでも認識できる内容をもってコミュニケーションとするのである。ロジカルシンキングだとか、ホウレンソウだとかはコンテンツの内容を高めるためのコミュニケーションツールである。また、高コンテンツであるということはすなわち、低コンテクストであるといえる。

対して、日本のように比較的画一的な背景を持つ人によって構成される文化では、高コンテンツというのは時に疎まれるものである。なあなあというか、空気というか、いつのまにか全会一致だとか、そいういう『和』をもって貴しとするのが美徳であって、コミュニケーションもそれに依る。アジア・中東は比較的この傾向が強く、高コンテクストであるということは、すなわち、低コンテンツといえる。

<日本人として>

海外で仕事をするときに必ず認識しなければいけないのは、このコンテンツとコンテクストの濃淡である。また同時に、日本人が不得手とするのは高コンテンツ文化への対応である。

日本人は黙って意見を言わない…というのは欧米でのステロタイプな日本人像であるが、低コンテクスト文化に対応できないとこのように周りから思われてしまう。日本では言うのが憚られるようなこと(例えば、『私はその意見に反対です、私の意見のほうが正しいと思います』的なこと)をはっきり伝えるのが、低コンテクスト文化ではコミュニケーションの取っ掛かりなのである。海外で躓く多くの日本人は、この高コンテクスト文化から高コンテンツ文化への変化に対応できないのだ。

高コンテンツ文化に染まっている人たちは、結論を出すのに意見をぶつけ合うことを当たり前に考えている。

彼らの美徳に沿うように、日本人も教養として論理的思考やプレゼンテーション能力をちゃんと勉強しなければならない時代だし、多くのサラリーマンはすでにしているだろう。学校教育が追い付いていないのは残念なことではあるが、しかしそれでいいような気もする。ディベートが日常になるような日本など想像したくない。

<時代の流れ>

高コンテンツ文化が優れていて高コンテクスト文化が遅れている、というのは大いなる間違いであって、最近は中国のビジネスシーンでのプレゼンス向上やアジア富裕層相手のビジネスが成長している事もあって、高コンテクスト文化の重要性が高まっているのも事実である。高コンテクスト文化は当然ながら国や地域によって異なるので、狭く深く勉強することが必要となる。

広く正しい高コンテンツも勉強しなければならないし、狭く偏った高コンテクストも勉強しなければならない。異文化コミュニケーションは、楽ではない。しかしそこに楽しさを見いだせる人というのが居て、それがいわゆる海外に向いている人、である。海外に向いている人が長年海外でちゃんと仕事をしてきたことで、今の日本の評価というのが形成されているのである。日本は取り残されているわけではない。多くの先人は同じように苦しみながらも、しっかりと成功を収めて日本に帰ってきているのである。

<文化背景とコミュニケーション>

と小見出しをつければ何やら難しそうであったり胡散臭くなったりするので好きではないのだが、要は、よく知らない相手(別に相手が外人と限らない)と接するときにはちゃんとコンテクストの濃淡は抑えよう、という事である。相手の濃淡を推察し、それに合わせて話題や話し方を変える事で、相手も自分も気分よくコミュニケーションできるのならば、それに越したことはない。かっこいいし、そのほうがモテる。

音楽の話をするにしても、高コンテクスト文化の人間とは、音楽の全体的な雰囲気や、音楽を聴くときの環境や思い出、印象…などボヤっとした話をすれば話が合うのだし、低コンテクスト文化の人間と話するときは、具体的なアーティストや作曲家の名前、作品名をだし、さらにどの部分がなぜ好きか、というのを説明してやれば話が合うのである。

言葉にするとややこしいが、感覚でこういうのを捕えているという人は多いだろう。こうやってメモ書き程度に書いておくと、地球上のどこかの誰か、1人くらいには役に立つかもしれないので記しておく。