sametimeme's diary

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情熱や想いは通じるか

料理というのは不思議なもんで、同じ材料を使って、同じ手順で同じように料理をしても、上手い人が作った料理はとても美味しいし、下手な人が作った料理はあまり美味しくないのである。

何故かと言うと、レシピには載らない細かい手順や前提条件が微妙に異なるからで、そこはセンスや経験でカバーされる領域である。例えば、鍋に応じて水の分量を調整するだとか、素材によって弱火・中火の加減を微妙に変えるだとか、効率のいい器具を準備して使うだとか、そういった部分だ。料理をする人ならまあ納得できる部分だと思う。

さてひとつ、ここで疑問がある。

こういった要素に、『情熱』や『想い』は、良い方向に働くか、という事である。

料理は料理

よくきく悲喜劇として、『嫁の飯がまずい』というネタがある。たいていのストーリーは似通っていて、嫁は一生懸命料理をしているつもりでも、よかれと思って加えた一手間、よかれと思って行った工夫というのが決定的にダメな仕事をしてしまい、料理を台無しにする。ここでは、『情熱や想い』というのは、逆効果に働いているのだ。

料理で重要となるのは、1にも2にも経験である。何度も何度も繰り返し試行錯誤して、自分の最も確実に成功するという所作を確実に再現させる事が、結果、すなわち料理の味を最大限に引き上げてくれるのだ。料理は段取り、と言われる所以である。

料理に『情熱や想い』は、不要である。

では、ビジネスでは?

仕事は人間

ビジネスでは、料理と同じく段取りが非常に重要である。与えられた環境から目標とする成果(=利益)を出すためには、正しい段取りを確実に踏む事が重要である。

が、ビジネスにはこの段取りの外で『情熱や想い』というのが結構有効なのである。

何故か。それは、ビジネスが人間を相手に、人間と共に行うものであるからだ。

人間の『情熱や想い』というのは大根や鶏肉には理解されないが、人間には理解されるものである。そして、そういったものを理解したとき、意識しようが無意識であろうが、人はその方向性にそった意識を持ってしまうものである。

『絶対に◎◎のほうが良い!』

と主張する人がいれば、「ああそうか、もし◎◎なら…」とか、「△△とくらべて、◎◎はどうか…」とか、周りの人はどうしても意識してしまうのだ。そこに正当性があれば、そのまま周囲が押し切られてしまうような事もある。

会社あるあるで、『声のでかい者が偉い』というのがある。これはとりもなおさず、『情熱や想い』といった不確定的な要素が、会社の序列に影響を与えているという事を示している言葉であろう。

段取りの外側

仕事をする上でセンスがある人が重要視するのは、この段取りの外側の部分である。ここをうまくマネジできる人は、人間関係をうまく構築し、色々な関係者とうまく利用しあう状況を作り出し、成果を確実に、そして大きく生み出すよう環境を作っていける。

「頑張ってるのに評価されない」だとか、「成果を挙げたのに認められない」だとか、そういう種の不満を抱えている人というのは、大抵この段取りの外側の部分のケアが不十分であったりする。こういった所は会社や組織によって微妙にコツが違うものだし、書店にいってもネットで検索しても正解が書いている訳ではない。

暗黙知というのは、人から人へなんとなく伝えていくしか、会得する・させる方法がない。

だから、そのためにもまずはたくさんの人と前向きな話をしたり、飲みの席や食事、散歩、タバコに付き合い、組織に染まっていく必要があるのだ。そういうのを社会人のつまらない部分だとか、自由侵害だとか、日本の常識はオカシイ!だとか言って遠ざけるというのはあまり賢いやり方ではないように思う。

情熱や想いは、人間を相手にしたら意外と通じるものだ。今の仕事環境に不満や文句があったら、仕事を始めたときの情熱と想いをふたたびたぎらせ、情熱と想いをかかえて仕事や勉強にあたろう。経験から断言しても構わないが、仕事で情熱や想いが通じた時、それは仕事で喜びを感じる非常にまれな瞬間の一つだ。