いじめられているきみへ
いじめはつらいし、かなしいよね。もうだれにもあいたくないし、がっこうにもいきたくないよね。ほっといてほしい、ひとりになりたい、そうおもうかもしれないけれど、きっとそういうときはきゅうそくがひつようなんだよ。
ゆっくりねて、やすむといい。
ふつかくらいやすんでから、つぎは、いじめっこへのふくしゅうをかんがえよう。
じぶんがうけたくるしみを、どうあいてにつたえるか、かんがえてみよう。
いじめっこのいえはしってる?しらなければ、しらべよう。きっと、だれにもあわなくても、そのくらいならしらべられるさ。
いじめっこにはかぞくはいる?あたりまえだよね。いえのまえでいちにちかくれてたってみていれば、わかるはずだよ。
かぞくに、きみよりよわいひとはいるかい?もしくは、ペットなどかってたりしないかい?
いじめっこにふくしゅうするなら、そういうのをねらうといい。いぬをかってたら、いぬにほうちょうをつきたてる。ちいさないもうとがいたら、こうえんのかいだんのうしろからつきおとしてみよう。
ほら、いじめっこはかなしみ、くるしんでいる。もうきみをいじめることもできないかもしれないね。
いじめっこはひとりじゃないよね。きみをくるしめたすべてのいじめっこに、おなじことをしてみよう。きっと、いっかげつもかからない。
きみよりよわそうなあいてがいない?だいじょうぶ、マッチをかって、ひをつけていえをもやすといいよ。うまくいけばいじめっこもかじでしんでくれるから、もうきみはくるしまなくてもだいじょうぶだよ。
ゆっくりやすんだかな?じゃあ、きみのかのうせいをしんじて、きみのしあわせをねがっているよ。やすらなかひびを、はやくとりもどせると、いいね。わるいのはいじめっこだから、きみはきっと、せいぎのヒーローになれるよ!
…こういうアドバイスをいじめられっこに与えるとする。もちろん、中身は重大な犯罪行為を示唆するものであり、また、馬鹿らしいほど極端な復讐について示唆するものであり、決して許されるものではない。こんな事をいう奴がいたらそいつは気が狂っているし、たぶん、99%のいじめられっ子は、こんな内容のアドバイスを相手にはしないであろう。
が、きっと、1%の子供はこの内容を真剣に読むだろう。ひょっとしたら、その中の1%は、復讐を実際に行動に移すかもしれない。さらにその中の1%は、実際にいじめっ子の家に放火してしまうかもしれない。
そういう仮説を立てると、数値としては1%の中の1%の中の1%。0.01x0.01x0.01。0.000001という数字をどう見るかという話だが、これは実は危険なほど高確率と言って良いのではないか。100万人いたら1人は家に火をつけるという事になる。幼稚園から高校生までだいたい日本には1500万人ほどいるが、そのうちクラスに1名はいじめられっこがいるとすると、30万人超のいじめられっ子がいる。この手紙を複数回、全ての子供たちに送るとすれば、3回に1回はいじめっ子の一家が火事で全滅してしまう事になる。
いじめは卑劣で許せない行為であると、僕は思う。きっと、多くの人も思っているだろうが、いじめであると意識せずにいじめをしてしまう人達というのも居る。また、好んでいじめを行う人達も居る。学校教育なんかではいじめ問題について大の大人が何人も頭を抱えるほど悩むそうだが、なぜ悩むのかといえば、それは中途半端であるからである。
もっとエグい、もっと卑怯で、しかしもっとリアルなケーススタディを行うことで、いじめ問題の効果的な解決策になるのではないか、と僕は考える。
いじめをする側には、一家が放火で全滅するかもしれないというリスクがあるという事を伝えてみてはどうか?幼い妹が階段から突き落とされ、事故にみせかけれれて殺されるかもしれないという可能性を教えてあげてはどうだろうか?もしくは、他にどういう卑怯な手段で復讐されるか、皆に考えさせてみてはどうだろうか?
いじめという卑怯な手段が割に合わない行為である事を、いじめる側にしっかりと理解させる事が大事ではないだろうか。いじめが起こってからでは、すでに明確な被害者がいる以上、皆が満足する解決策というのは考えにくい。だから、起こってしまったいじめについては、もう物理的に引き離すとか逮捕とかそういった強制力の執行が不可欠になってくると思うが、まだ起こっていないいじめ、これから起こりうるいじめというのは、生徒に超リアルにいじめを考えさせる事で、客観的な視座を与えることができ、大きな抑止力になるのではないだろうか。
いじめは犯罪行為であって、昨年、それが原因で逮捕された少年がいたように記憶している。犯罪行為を行うような犯罪者が、法で守られると思うのは大間違いで、同じように犯罪行為で復讐される事だって十分ありえるのである。というか、普通に考えればそう考える方が、自然の成り行きにかなっている。放火によって一家揃って死ぬよりは、まだ逮捕されるほうがいじめっ子も幸せであろう。潜在的いじめっ子にそう想像させる事が、いじめ問題を劇的に改善させるのではないかと、そう言っているのである。
適切な教育によって、すべてのいじめられっ子の人権が、救済される事を願っている。